みかんいろの月

Kis-My-Ft2の横尾さんがダイスキデス。

花衣ぬぐやまつわる ―――4月12日横尾さんの俳句に寄せて

俳句アイドルと呼ばれ、芸能界4位の実力の持ち主でありながら、最近俳句が不調な横尾さん。昨秋以降、通常回では2回連続現状維持をくらい、冬麗戦では8人中7位に沈み、失意のさなかにいる横尾さんが、果たしてスランプから脱却できるのか、祈るような気持ちで、プレバト!!第2回俳桜戦を見ました。


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2018.4.12 お題「桜と富士山」

 

もの思うこと 忘れおり 花衣

 

第2回俳桜戦5位(9人中)
季語:花衣(春)
もの思う…あれこれと思い悩むこと
おり…動詞の連用形について、動作・状態が継続していることを表す。「忘れおり」で「忘れている」
花衣…春に切る桜襲の着物、はなやかな衣、花見に着て行く晴れ着。体言止めで余情を残す。

 


まず思ったのは、7音+5音+5音の大胆な句またがりに挑戦したということ。横尾さんの句またがりの俳句は2年前の「卒業の君 まなざしの 大人びて」以来だと思います。この勝負に勝ちたいと思って仕掛けてきた横尾さんの本気を見ました。

 

「花衣」という美しい季語は、花見に着て行く晴れ着のことですが、キス担としては、ミントツアーの時の白い生地に色とりどりの花が咲いた美しいあの衣装を思い出します。「花衣」には、単に「はなやかな衣」という意味もあります。

 

思えば、マグロ解体師も、ペット介護士も、筋トレも、私たちは後で知ることばかり。全くこちらに悟らせないで、普段通りにレギュラーの仕事や他の仕事をしながら、裏ではコツコツと努力を積み重ねていたことを、いつも後から知って驚くのです。表ではコンサートやテレビ収録のような、アイドルとしてのはなやかな仕事を何くわぬ顔でこなしながら、裏では俳句を作ったり、資格の勉強をしたり、アイドルと遠く離れた、地道な、やらなければならないことがたくさんある横尾さんと、重なるような俳句だと思いました。

 

昨年の金秋戦の後、横尾さんがテレビ誌で夏井先生と対談した時に、夏井先生が、横尾さんの俳句に足りないものは「本人らしさ」「その人が今しか詠めない青春性」とおっしゃっていました。私の印象では、そこから横尾さんの俳句が変わったように思います。12月の「湯けむりが道しるべとなり神の旅」では発売された舞祭組1stアルバム収録の「道しるべ」を句に詠み込み、1月の「産ぶ声や皆の顔が冬暖か」では、アルバムの産声を祝すスタッフやファンを詠い、3月の「春光の嬉しさそこに足下に」では、キスマイ全員にお芝居の仕事が決まった嬉しさを詠みました(と、私は勝手に思っている)。横尾さんは、普段思っていることをストレートにおっしゃる方ではないので、俳句に横尾さんの想いがうっすらと、ほんのわずかに透けて見える気がして嬉しかった。でも横尾さんのスランプはそこから始まっているような気がします。

 

「花衣」と言えば、高校の国語の授業で習った大好きな俳句、「花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ(杉田久女)」。華やかさ、幸福感、高揚感、花見の後のけだるさ、服を脱ぐという艶めかしさ等、いろんな感情が17音の中で見事に入り混ざった俳句だと思います。和服を脱いだ時の、紐の多さに着目するという発想がおもしろいなあと思っていたら、授業で先生が、久女の生い立ちと、この「紐」は、自分を縛り付けるいろいろなしがらみや価値観の象徴だということを説明されて、俳句の奥深さに驚いたことを今でも新鮮に思い出します。

 

最近のプレバトのたびに、横尾さんが苦しそうな、悔しそうな表情になるので、心配しています。何位でも、誰が酷評しても、私は横尾さんの俳句が大好きだから、重い花衣を脱ぎ捨て、締めつけているたくさんの紐を振りほどいて、横尾さんが楽しく俳句を詠める日を待っています。