みかんいろの月

Kis-My-Ft2の横尾さんがダイスキデス。

笑顔をそれだけを守りたくて ―――9月24日横尾さんの俳句に寄せて

2週間前に横尾さんの俳句を読んだのに、また読めるなんて!しかも横尾さんにとっては初の他流試合だし、北山さんはジャニWebで奇跡が起きたって言ってるし、番組予告で横尾さんはブチギレてるし、混乱しながら番組を見ました。

 

*****

2020.9.24 お題「文房具」

 

2020年

体温だけ記す 九月の予定帳

 

東大王チームとの対戦 勝

季語…九月(秋)

前書き…俳句を詠んだ動機や状況などを述べたもの。

 

披露された時にまず「文字数!?」と思いましたが、「2020年」は前書き、と説明があり、また新しいことにチャレンジしたのだと胸が熱くなりました。一昨年、「足袋汚し初日輝き演舞城」と詠んだ時に、夏井先生から「情報を詰め込み過ぎているから、演舞城は前書きにしたら」とアドバイスされたことが、ここで生きてきたのだと思います。「2020年」という前書きがなくても、ジュニアさんが前書きなしで「密」を詠んだように、当然コロナ禍の状況だとわかるのですが、それでも前書きをつけたのは、前書きなしでは手帳に体温だけを書く意味などわからないような平穏な世の中に、早く戻ってほしいという、横尾さんの願いがこもっているように感じました。

 

マスクや手洗いは、自分が感染しないように予防する行為ですが、毎日体温を測り記録するという行為は、もし自分が感染してしまったらそのことに早く気づき、他人に感染させないための行為です。8月の二階堂さんと横尾さんがキスマイRadioで、「自分が感染するのが怖い」ではなく、「(感染させないように)人を守るのが難しい」と話していたのが印象的でした。この状況の中で、イライラを隠せない人や、他人に不寛容な人や、人の迷惑を顧みない人など、人間の本性を見てしまって悲しい思いをすることも多いですが、きっと事務所の指導で、毎日地道に体温測って記録している横尾さんの誠実さに救われる思いがしました。そして、自分を客観視して俳句に詠める強さにも励まされる気がします。

 

「だけ」という助詞が説明的なのではないかという指摘もありましたが、この俳句では「だけ」とすることで、遊びの予定も仕事の予定も全部なくなったという状況が見えてくるし(現実にはキスマイの2020年9月はお仕事がいっぱいで予定帳は真っ黒だったと思いますが…。)、字余りにしたことで普段とは異なる違和感みたいなものも表現されていると思います。「体温だけが生きている証」みたいな切なさも感じられます。

 

そして「だけ」と言えば、北山さんがCMする「だけだけパレット」が連想されるんですが、それは深読みしすぎですか?でも今日の、「僕には俳句しかない」って横尾さんが言ったらすぐに北山さんが「そんなことないよ」って言ったこととか、最後に北山さんにプレバトチームの運命が託されて、見事に勝利した時に、横尾さんがすぐ立ち上がって「(俳句を批評したこと)ごめんね!」と言ったこととか、見事なコンビネーションを見ていると、可能性がないこともないと思うんですけどね。

 

(タイトルは「君を大好きだ」の横尾さんのソロからとりました。)